高野山リトリートを終えて早くも3週間がたとうとしています。
3日間の様々な感覚は、日常の生活によって失われつつあります。
どんなに感動を覚えても、それによって簡単に自分を変えられない、
難しさを感じている日々です。

houyou.jpg 
弘法大師が入定された日の大法要では、全国各地からの参拝者や
僧侶の方々が集い伝統的な儀式がありました。
杉林に囲まれた奥の院は有名どころの初詣のような賑わいでしたが、
「この日のために…」という周囲の人々の信仰心を感じました。
信仰やスピリチュアルといったキーワードは時に誤解を招くことも
あるかもしれませんが、人が日常の小さなことに心を病むだけでなく
大きなもの大いなるものとのつながりを感じより良く生活するためには
必要なものかもしれません。

大法要のあと森林散策にでかけましたが、普段目にしない杉や槇の大木を見ると
自然には偉大さや安定感があり、私達はその恵みをいただいているにすぎないのだと改めて感じました。

sugi.jpg 
今回は2泊3日の滞在中しっかりとスケジュールがあったので、実はなかなか
高野山自体を散策する時間がありませんでした。

とても素晴らしい場所であると知ることができた今は
また訪れたい場所の一つになりました。

次回高野山を訪れるまで、今の日々を大切に感じたいと思います。
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【2010/04/09 00:02】 | できごと
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よーこ
大きな自然に触れると、人間なんてちっぽけなものだと感じるよね。どんなに強気でいても、人は一人じゃ生きれないし、何かを信じることで心の安定を図っているんだと思う。それが信仰心の現れ、なんじゃないかしら??そうゆう大きな意味では、誰にとっても必要不可欠なものだと思うよ。

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この記事へのコメント
大きな自然に触れると、人間なんてちっぽけなものだと感じるよね。どんなに強気でいても、人は一人じゃ生きれないし、何かを信じることで心の安定を図っているんだと思う。それが信仰心の現れ、なんじゃないかしら??そうゆう大きな意味では、誰にとっても必要不可欠なものだと思うよ。
2010/04/12(Mon) 14:57 | URL  | よーこ #-[ 編集]
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